エピローグ
西暦2080年、札幌。
「ニコニコホーム高島」の元理事長、佐藤健二は息子夫婦の家で米寿の誕生日を迎えていた。
あれから30年。佐藤を取り巻く環境も、世の中も、大きな変貌を遂げていた。
佐藤は理事長に就任してから定年を迎える80歳まで、「ニコニコホーム高島」の経営改善に尽力した。
「ニコニコホーム高島」は「えがおの丘たかしま」と名前を変え、入所者の受け入れ数も当時の約20倍に拡大。
屋内外に広がる広大な温泉施設を兼ね備え、今や日本国内有数の総合福祉施設となっていた。
その発展の原動力となったのが、高島ネット倶楽部の存在。
高島ネット倶楽部は、結成後まもなく世界的な有名ユニットとなり、50年代を時めいた。
彼らの活躍は日本国民ばかりでなく全世界に希望と娯楽を与え、復興への活力となったのだった。
しかし、高齢化によるメンバーの体力低下と相次ぐ他界により、惜しまれつつも2061年に解散。
その頃には、日本経済・世界経済はすっかり回復していた。
「高島ネット倶楽部は、我々にとって希望そのものじゃった。」
ネット倶楽部メンバー最後の生き残りでもある佐藤は、息子夫婦や孫たちに淡々と語り始めた。
「最初は自分たちが追い出されたくない一心で頑張った。しかしじゃ。途中から、全てが変わってしまったんじゃよ。」
佐藤は、友情と信頼、団結の大切さを訴え、ほろ酔いで心地よい眠りに落ちた。
高島ネット倶楽部が残したもの
世界的な不況に誰もが苦しむ中、精一杯頑張り、精一杯楽しんでいた高島ネット倶楽部のメンバーたち。
そんな高齢者たちの純粋な明るさに、誰もが勇気付けられたことだろう。解散して20年近くが過ぎる今でも、
彼らの功績は皆が誇りにしている。
小樽市中心部にそびえる高島ネット倶楽部員たちの銅像。その台座には、このような言葉が刻まれている。
「幾つになっても、人生は冒険だ」