ニコニコホームの危機

悩む佐藤

「ニシン輸出関連企業に転向だって?正気か!?」
小樽市高島地区にある民間高齢者グループホーム「ニコニコホーム高島」。
今年は2020年の開設から30年目を迎える節目の年だ。
しかし、定例の理事会を終えて小樽駅へ向かう佐藤健二、58歳の足取りは重かった。
彼もまた、「ニコニコホーム高島」の理事の一人である。

国の福祉改革により、今年から民間福祉施設への助成金は打ち切りになった。
折からの不況で経営難に陥っていたニコニコホーム高島は、
ここへきて福祉事業からの撤退を検討していたのだった。

佐藤は理事会で、入所者の今後の事や福祉へのニーズを考え、
ホームの存続を訴えたが、他の理事達の反対に遭ってしまった。
「事業転換をしても、こんな気持ちで運営していたら同じことになる。なにがニシンだ。」

昼下がりの小樽駅前は、静まり返っていた。かすかに、遠くからかもめの鳴き声が聞こえてくる。
世界恐慌の影響は深刻で、小樽だけではなく、このような地方都市からは活気が消えているのだ。

佐藤は、札幌から来るグループホームの新しい入所者を迎えに来ていた。
ガソリンが入手困難なため、自力で歩ける入所者を迎えに行くときは徒歩というのが、ニコニコホーム高島の決まりだった。


新しい入所者

大木

大木啓介、78歳。長年勤めていた会社を昨年早期退職、
老後の為に貯めていた資金をはたいて「ニコニコホーム高島」への入居権を購入。
佐藤が迎えに来ている新しい入所者だ。
佐藤と大木は軽く会釈を交わして、遅めの昼食にと駅前の食堂に入った。

「わしは精一杯働いてきた。ホームについたら毎日「かもめ」をやるよ。それが楽しみでな。」

「かもめ」とは20年ほど前から続く高齢者向けのオンラインRPGゲームだ。
日本国内をはじめ、全世界中のシニア達から圧倒的な支持を受けている
メイドインジャパンのゲームで、その市場規模は日本再生の糸口とも言われる程。
足腰が不自由になった高齢者たちは、「かもめ」内の仮想空間で若い肉体を取り戻し、
あの日あの時やりたくても出来なかった様々な遊びと冒険を体験する…。そんなゲームであった。

「この人の為にもどうにか、ホームを存続させたい…」
佐藤は複雑な気持ちになりながらも、そう思った。出てきた料理は、皮肉にも「ニシン定食」。

内田

佐藤と大木が「ニコニコホーム高島」に戻る頃には、既に夕暮れ時になっていた。
佐藤は職員の山田に大木の案内を頼むと、足早に事務室へ向かった。

「本当に事業転換するんでしょうか?入所者の間ではその噂で持ちきりで…」
事務室に入るなり、事務長が声を掛けてきた。
「このままだと、そうなるだろう。何とかならないものか…。頭が痛いよ。」
そう言って、佐藤はデスクに腰を下ろした。

と、その時。
けたたましい叫び声と共にガラスのようなものが割れる音がした。
佐藤は事務室から飛び出し、音のした方へ走った。

「こらこら、廊下を走ったらいかん。」「すまないね多希江さん、緊急なんだ」
内田多希江、97歳。入所者の中では最年長で、皆のご意見番的な存在だ。佐藤は内田を伴って、現場へ向かった。

2人がそこで目にしたのは、粉々に砕けた「ニシン漁の像」と、ハンマーを振り上げて入所者たちに演説する高橋の姿だった。
ちなみに「ニシン漁の像」は、小樽市観光協会から寄贈されたガラス製のオブジェである。